イジメは解決できる!
それはズバリ、相手の弱みを握る事あるいは相手が怖がる事をする!この二つです!
たとえ弱くても、こいつに手を出すとタダじゃ済まない!と思わせる一手を用意すればいいのです!
北朝鮮を見てください!アメリカは中東などには直ぐ軍事介入をするのに北朝鮮には行きません!
それは核というカードを持っているからです!
そう!イジメたら損すると思わせれば良いのです!
では具体的にどうするか?
それは個々のケースにもよるので一概には言えませんが簡潔にまとめるとこうです!
1、相手の弱みを握る
2、イジメをやめたらそれをバラさないと約束する
3、そのいじめっ子より強い人と仲良くなる
他にも色々ありますがいじめに限らず大切なのは自分の頭で考え解決する事です!
争い事はダメ!平和的に!などという大人の意見を間に受けてはいけません!そもそも明らかに一歩的にイジメられているのに喧嘩両成敗で片付ける事なかれ主義の教師がおかしいんです!
もちろん無闇矢鱈な暴力などは持ってのほかですが正当防衛の範囲での反撃はやって良いんです!
そのための正当防衛ですから!
先生に言う必要はないんです!警察に言えば良いんです!そのための警察ですから!
合法的な範囲でどんどん報復すればいいんです!
最も大事なのはやられたらやり返す!その姿勢なんです!
でもそんな勇気がない!って人もいるかもしれません。でも大丈夫です!
何も真正面からぶつかる必要はないんです!
自然界を見てください!何も虎やライオンのような屈強な肉食獣ばかりではありませんし色んな戦い方があります!
例えば、熊のように屈強な体を持っていなくても蛇のように毒という武器を使ったりスカンクのように匂いで反撃したり色んな戦い方があります!
ですので勇気のない人は何も真正面からぶつかる必要はなく自分なりの戦い方を見つければ良いんです!
ですので今現在いじめられてる人はぜひ一矢報いましょう!
勉強嫌いは本来あり得ない!
みなさん勉強は嫌いですか?自信を持ってイェスと答える人も多いでしょう!しかしそれは本来あり得ないんです。
勉強とは本来成長であり成長を嫌う人は居ません!それではなぜ勉強が嫌いだ!という人が多いのでしょうか
それは動機あるいは意義を十分に理解して居ないからです。またその意義を納得の行く形で教えられる大人が少ないからです
それは勉強だけに限らすどんな事であっても意味もわからずただ命令されてやらされるものは嫌になります。
スポーツやゲームであっても勝手に押し付けられしかもそれを宿題や課題にされると嫌いな人が増えるでしょう!
例えば、自分の趣味をやたらと押し付けて来る人がいますよね?趣味というからには本人にとっては楽しいものなのかも知れませんが押し付けられる側からすると苦痛でしかないですよね?
それと同じなんです
本来人間には知的好奇心というのが備わっているので勉強が嫌いというのはあり得ないのですが、大人が勝手に決めた事をやらされ、その出来が悪いと怒られたり出来がいい人はもっとを要求されたりします。
そうやって嫌なイメージだけが刷り込まれた結果嫌いになるのです。
言われた事をやるのは社会に出たときの練習だ!といって校則を守る事や宿題をこなすように言われますが社会人と学生はそもそも前提が違います。
確かに社会には理不尽とも思える要求や命令が与えられますがその引き換えとして給料という見返りが与えられます。
しかし学生にはその見返りがない状態で命令だけされているのです。それでやる気を出せという方が無理な話です。
また、勉強しないと将来困るぞ!と言う人は多いですが勉強せずに普通に暮らしている人が多いのも勉強の意義を子供達が感じられない原因でしょう。
勉強する事のメリットをいい大学に入るなどといった社会システム上のメリットだけではなく学んだ事は自分の血肉となると言う生身の感覚を与える事が最も大切ではないでしょうか?
RPGゲームのレベル上げは非常にめんどくさいですが成長が目に見える形で現れるので楽しくなります。
それと同じように勉強が楽しくなる唯一の方法は目に見える形で成長を実感する事と動機や意義を自ら納得する形で理解する事です!
理想の教師は何も教えない!
皆さんは理想の教師と聞かれるとどんな先生を想像するでしょうか?分かりやすく教える先生?それとも一生懸命指導する先生?実はどれも違います。
真に優れた教師というのは背中を追われる人の事です。
何も言わずとも生徒からこの人みたいになりたい!こんな立派な人間になりたい!と思われ生徒が自主的に学んで行く。こう思わせる事が立派な先生なのです!
それは学校の先生だけでなく先輩後輩や師弟関係にも言える事で勝手に背中を追われ部下や生徒が自主的に学んで行きます。
そのような先生こそ理想の教師ではないでしょうか?
逆に子供達が勉強嫌いになる理由にその教科が嫌いというよりその教科の先生が嫌いで教科ごと嫌いになるというケースは珍しくありません。
また、なぜ勉強するのか?と聞かれて納得のいく回答を用意できないまま勉強をさせようとする大人にも問題があります。
納得をした上で取り組むのと疑問を抱いたまま取り組むのでは成果に大きな差が生まれます。
しかし、背中を追われる先生というのは納得どころか本人に勉強するための強い動機を与えるのです!
それは、人に言われたり教えられないと出来ない人間とは違い自らの意思で学び自ら考えて行動する強い人間を生み出します!
逆に尊敬できない人間から人は学ぼうとは思いません。そのような人間はむしろ人の意欲や自主性を奪い自ら行動できない人間を量産し全体として害を及ぼします。
要するに理想の教師とは良い手本になる人のことを指すのではないでしょうか?
この人みたいになりたい!この人に認めてもらいたい!そう思わせる教師の生徒は物凄い勢いで自ら学び成長します。
そんな良い手本になるために必要なことはただ一つ!自らが勉強し成長する姿を見せ続けることです!
世の大人たちは子供に勉強しなさい!という割に自分は勉強しない事がほとんどです。
そんな大人に言われて勉強しようとは普通思いません。
しかし、自身が楽しそうに勉強する姿を見せ続ける事でそれに影響されてついて来る人は必ず現れます!
そして何より自身が勉強し続ける事で自らが成長します!勉強は自身も他人も成長させるツールでありその姿を見せ続ける事がもっとも理想の教師ではないでしょうか?
大変な時こそ本性が出る!
例えば、もともと仲が良かった親ですら介護が必要になり金銭的にも精神的にも追い詰められると殺人事件に発展したり当事者間だけでなく安楽死を認めるべきだという社会の風潮にも発展して行きます。
自分で決意して授かった子供ですら障害が発覚すると降ろそうとしたり施設に預けっきりにしたりします。
このような事を書くと当事者の苦労を知らないのか!などと言う反論がありそうですが、そもそも子供を産むのは誰かの命令でも義務でもありませんし子供を育てる上での苦労や困難は何も先天的な障害だけに限りらず後天的に事故や病気で障害を負う可能性は十分あります。そのような事態に陥っても育てるという覚悟のない人間が子供を作ることを問題と思わないのはやばいです!
最初から授かった子供が病気や事故で思い障害を負った場合のシミュレーションを立てていればそのような事態になっても対応できるはずであり、生まれる前に障害が発覚した時点で降ろすのは頭の中で勝手に子供の笑顔と幸せな家庭というお花畑の明るいイメージだけを描きその裏に立ちはだかる厳しい現実から目を背けているからに他なりません。
最初に幸せな理想だけを描き生まれた後にやってくる困難はその都度仕方なく我慢して乗り越えているに過ぎず、その困難が生まれる前に発覚すると幸せな理想という最初の前提が崩れるので平気で降ろします。
北朝鮮では家族でも政治的な発言をした事を警察にチクりますし江戸時代では貧乏な家庭は自分の娘を遊郭に売ったり当たり前のようにありました。
親だから、家族だから一番に考えてくれるなどと言うのは単なる幻想で家族は大切にすべき!と言う同調圧力に従っているに過ぎません。
その証拠に人間を無責任に捨てたり外で放置すると捕まるのでしない人が多いだけで、それがいざペットとなると殺処分されると知っていても平気で捨てますしその数は決して少なくないです。
昨今ではその前提すら崩れていて相手が人間でも捨てたり虐待して殺めたりする親も増えています。
このように人間は余裕のないときに本性が出るのです。
ですので誰かと一緒になる時、子供を授かる時は幸せな未来をイメージしてはいけません。
一番最悪で大変なシナリオをイメージするのです!そしてその最悪なシナリオをどう乗り越えて行くのかをこれでもかと言うぐらい計画を立て、勉強をして備えるのです。
保険に入るとか福利厚生の充実した会社に入るとかそんな人任せではいけません。自分の力で、自分で大切な人をどう守るのか、お金もなく頼れる人もいない、そして大切なパートナーや子供が重い病気におかされている時に目の前の大切な人をどう救うかを考え計画を立てておくのです。
そもそも、離婚したり子供を殺めたり障害が発覚して降ろしたりというのは最初に自分の幸せな理想を前提に計画を立てているからです。
最初から最悪のシナリオを前提に入れてそのシナリオを許容できない人が他人の人生の責任を取れるのでしょうか?
もし、何か事業を始めるときに成功することだけを考え失敗した時の負債リスクに対処できない人がその事業を始めるべきではないのは言うまでもありませんが事業ですら重い責任やリスクを考えるべきなのになんで人の人生を預かる結婚や子育てとなるとハッピーなことばかりを思い描きそのリスクから目を背けるのでしょうか?
そのような人間があまりにも多い結果、余裕がなくなると鬼や悪魔と化する人間で溢れかえるのです。
その結果、その鬼悪魔から身を守るために自信も鬼悪魔となる必要が出てきての悪循環です。
しかし、すべての人に優しくすべき!などとは言いません。せめて自分で決めた人ぐらいは何があっても守りましょう!
ですので結婚をするときは如何に最悪のシナリオを想定しそれを乗り越えていくかを真剣に考えてくれるパートナーを選ぶこと、そして自分自身がそのようなパートナーになることが最も重要ではないでしょうか?
少なくとも自分はそんな人間でありたいですね!
子供が欲しいから作ろう!などと安易に考える男はクズです。自分なら子供が欲しい!その願いを叶えるために大好きな奥さんを失うというリスクをきちんと受け入れ妻の意思と覚悟を聞き話し合い、それでもお互いが納得した上で子供を作ります。
なんのリスクもない男が安易に子供が欲しい!などと言うべきではありません。パートナーの覚悟と意思を何度も聞き、それでも一ミリのブレもない意思があって初めて作るべきです。
そこまでの覚悟を決めるのが当たり前!そんな価値観の世の中になると余裕がないからと他人を攻撃したり愛する人を傷つける人が少なくなるのではないでしょうか?
才能や努力よりも〇〇!
その〇〇とはズバリ!依存、中毒、変態さです!
考えてもみてください、才能なんてあったとしても結果論であり自分が何の才能を有しているのか蓋を開けてみるまで分かりませんし本当に才能すなわち生まれ持った感覚だけでやってる人はその分非常にデリケートでその天性や感覚が一度狂うとすぐダメになるのです。
才能だけでやって来たアスリートが少し怪我をすると感覚が狂い二度と元に戻らない事がよく見られますが理論派の選手は多少怪我をしても復帰したり出来ます。
ですので才能が全て成功に直結するとは思えません。
それでは努力が全てを決めるのかと言われるとそうとも言えません、なぜなら努力という意識があるということは疲労や負担を感じてしまったり天才のように出来る感覚などがなくゴールが曖昧でただ闇雲にエネルギーだけを消費しているケースが少なくないからです。
しかし、依存!中毒!変態さ!この三つを兼ね備えていれば何かを取り組むとき例えば勉強でもスポーツでも物凄いアクティブに活動していても本人は全く疲労やストレスを感じずこれでもか!というぐらい活動しますしイチロー選手は引退してからも練習を続けたりもはや天才や努力という域を超えた野球中毒の域です笑
また、好きこそ物の上手なれとは言いますがそう言った人たちは一般的に認識されている好きの領域を超えています。
確かに好き!というだけでは必ずしも上手くいくとは限りませんが中毒の域になれば必ず目に見える変化があります。
例えば酒好きでも健康な人は居ますが重度のアルコール依存症の人で健康な人はまず居ません。
ゲーム好きの人でゲームが下手な人は沢山いますが一日中ゲームするようなゲーム依存の人でゲームが下手な人も殆どいないでしょう。
このように、単に好きってだけで成功するとは限りませんが中毒状態になれば努力家や天才をも凌駕する力を身につけるのは確実です。
その依存状態を勉強や仕事やスポーツなど健全な所に向いた時はかなりの威力を発揮します。
東大の首席の学生は努力で勉強(一般の人からしたら努力に見える)というより勉強マニアですし一流の寿司職人も生活の全てを寿司のことを考えていたりエンジニアも学生時代から趣味でプログラムを組んでいたり努力を超えた中毒状態で取り組んでいる事が多いです。
ですので本気で成功したい人はその分野の変態、中毒者になりましょう!笑
不登校は恥じゃないが!
さて、本題に入りますがオンライン授業などが増えてきた昨今で不登校について語って行きたいと思います。
これまではみんな普通に学校に行くのが当たり前で不登校は悪いものとされていて少しずつ世間の理解が進んで行っていますがまだまだ理解が完全に及んでないのが現状ではないでしょうか?
僕は不登校は全然問題ないという立場です!しかしそれには条件があります。
学校に行っているかどうかという軸ではなく真面目に学び日々精進するかどうかの軸で評価されるべきと意見です!
一般的には学校に行く事が良くて行かないことは良いことではないという評価がなされていますが。
学校には行くけど授業中に騒いだり勉強もせず学級崩壊の当事者になるような生徒よりも学校には行かなくても毎日勉強をして家族の手伝いをして日々成長しようとしている人の方が評価されるべきだという考えです。
そもそもなぜ勉強するのかというと知識を身につけその知識で自己と他者を幸せにする為です。
学校はその手段に過ぎません。
しかし手段の一つを選ばなかった事によって批判するのはハッキリ言って頭が悪いとしか言えません。
それどころか他人の勉強する権利を侵害する不良生徒より誰にも迷惑かけず学校という手段を用いないだけの生徒が叩かれるのもおかしな話です。
このような理由から不登校そのものには問題ないのですが、世間体や既存のルールや常識に逆らうのは相当な覚悟が必要という事は理解する必要があります。
道はこれだけじゃない!と言って不登校の道を選ぶ方は自らの道を真剣に見つけ開拓をする覚悟を決める。
最低限この事だけは本人も自覚し保護者も理解させる必要があると思います。
それを理解しないまま不登校ではかなりの困難が待ち受けているので。
しかし人生は一度きり!後悔のない道を進みましょう!
自ら考え、自ら進み世間を見返すぐらいの気持ちでやってやりましょう!
世の中は異常なものには大バッシングしますが、手のひらを返すのも早いんです笑
不登校の方はそのうような世間に負けない強さを手に入れる事ができます!
その事を頭に置いた上で選ぶ不登校という道は全然アリです!
不登校の皆さん頑張ってくださいね!
どうなる!都構想!
なぜか日本では政治に関する話題はタブー視されており日頃議論する機会も少なければ政治が身近に感じられる人も少なく興味が持てない、理解できないと言う人も少なくありません。
そして何より日本では変化を恐れるあまりどうしても改革や新たな政権に任せよう!という態度に出る勇気のある人が少ないように思えます。
それが原因で日本においては長年同じ政党が政権を担っています(※それが悪いと言ってる訳でもなければ現政権を批判している訳でもありません!)し政権交代がなかなか起きず現状維持にとどまるのが当たり前のようになっています。
しかし衆議院選挙は改革か保守かの二者択一ではなくその他の要因も考慮して決めますが今回の都構想は改革か現状維持かの二者択一の投票です。
そして自分たちの住む町にダイレクトに関わってくる問題です。
ですので普段の議員を選ぶ選挙とは違いみんなが話し合い、意見をぶつけて自分たちの街をどうしたいのか身近な生活と政治を結びつけ考えて意思表示をする絶好の機会だと思います!
そして、賛成反対が拮抗しているのもいい傾向です。どちらかに偏っていると空気に流されやすい日本において雰囲気や勢いだけで多数派がさらに増え少数派は肩身の狭い思いをして十分に議論されず、されたとしても少数派=おかしな人と言うレッテルだけ貼られてまともな話し合いすらさせてもらえない可能性すらあります。
しかし今回は両者が拮抗しお互いがきちんと意見を言い合っていますので可決されようが否決されようが一つの問題に関してみんなが意見を言い合う。
そのような世の中に進化する第一歩として非常に有意義な機会だと思います!
ですので皆さん!是非自分の意思表示をしに投票へ行きましょう!