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大峰山は差別

本日は哲学的なコラムを書いていきたいと思います!

本日取り上げるのは修験道の聖地とされる大峰山の女人禁制についてです。

宗教なので非常にデリケートな問題なので炎上しそうな内容なのですがそれでも言いたいことは言わせていただきます!

なぜ、大峰山の女人禁制が差別なのかというと女人禁制を設けるにあたって真っ当な理由が何一つ無いからです。

伝統だから!宗教だから!というのは真っ当な理由にはなりません。

なぜなら伝統や宗教は如何なる不条理も正当化する魔法の言葉では無いからです。

百歩譲って宗教を理由にするなら根拠となる教理や経典を示すべきであり伝統を理由にするならそれを守るべき正当な理由を出すべきだからです!

理由なんていらない!ほっといてくれ!というのは単なる傲慢でありそのような態度は宗教の本来求めるべき道徳から外れています。

シンプルな話、特定の人たちを排除する事に正当な理由があるなら区別でありそれなが無いなら差別です。

大峰山は後者にあたりますが、彼らの主張に一つ一つ反論して行きながらその理由を今から述べていきます。


1修行の為であり差別では無い!
大峰山に入山できるのは何も行者だけでなく登山客も入山できます。修行の場だからという理由なら区別すべきは男女ではなく修行者かそうで無いかで分けるべきであり男女で分ける理由にはなりません。

2女性を危険から守る為!
これは女性差別である前に男性差別でもあります。女性は危険から守る必要はあっても男性は守らなくても良いんでしょうか?それに大峰山より危険で険しい山なんか腐る程あり危険だから女人禁制とか言い出していたらヒマラヤ山脈一帯みんな女人禁制にしなくてはなりません笑

それに登山の危険から守るというならそれも分けるべきは性別ではなく年齢や身体能力でありこれも真っ当な理由ではありません。

3女性がいたら男が修行に集中出来ない。
煩悩を乗り越えるために煩悩の原因ごと消していては修行になんかなりません!笑
ニコチン依存者も薬物依存者もこの世からタバコや薬物を消せばやめれますよ笑
しかし、それらが存在する世の中で克服しないといけないし克服して頑張っている人がたくさんいる中で行者ともあろうものが何を言ってるのかと思います。それにどうしても男だけで修行したいなら曜日や日にちでこの日は男性のみと決めれば良いだけで入山ごと禁止する理由にはなりません。

キリスト教イスラム教などは聖書やコーランといった正式な聖典をもとに主張してくるのでまだ説得力がありますが修験道大峰山はそれらの根拠もなく人間の適当な理由で設けられた実にワガママな伝統なので差別以外の何者でもありません。

こういうと行者たちは感情的になって反論してきますが、真っ当な理由があるなら何も感情的にならず冷静にそれを主張すれば良いだけでちゃんとした理由があるあら納得しますよ?

しかし彼らの多くはそれをせず俺たちには俺たちのやり方がある!だから部外者は口出すな!と聞く耳すら持たず差別を続けているのです(大峰山には税金が使われています)

もう少し建設的な議論をしたいものですね。