MATU⭐︎KATAブログ

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常識的な親はクソ

皆さん常識的な人は何となく道徳的に良い人だと思っていませんか?

しかし本当にそうでしょうか?常識というのはその時その場所で一般的に共有されている価値観の事を指します。

ですのでその常識というのがだれかを傷つけたり苦しめるものであっても一般的に広く共有されている価値観なのでその間違いに気付かないんです。

例えば、自動車を走る際に広く交通量の少ない道だった場合ほとんどの車が速度オーバーします。しかし法定速度という明確なルールがあるにも関わらず、流れや周りの車もオーバーしてるといったその場の常識をもとに速度を守って走る車が煽られたり白い目で見られたりするのです。

そしてタバコも今では嫌煙ムードになりそれが常識化しているので喫煙者への風当たりが強く非喫煙者が守られていますが一昔前では病院や公共の場でも当たり前に吸えていて非喫煙者の言い分などまず通りませんでした。

どちらもその時代の常識でした。

昔は妊婦や子供がいようがお構いなく当たり前のように吸っていて逆に今はマナーを守ってる人にも過剰に当たり散らす人もいます。

しかし両者ともに周りの空気を根拠にしているのです。

周りが当たり前のように吸っていれば自分もそれに合わせて空い周りが叩けば自分も喫煙者を叩く。

近頃の自粛警察も同じです。

もっと深いことを言えば親は子供を大切にする!という価値観も周りの影響に支配されていて本気で子供の事を考えている親の方が少ないです。

例えば、海外では貧しい家庭は女の子が生まれたら売りに出されたりしますし日本においても江戸時代では貧しい家庭の女の子は遊郭に売られたりしていました。

そして昭和の時代においては言うことを聞かせるために子供に手をあげたり当たり前に行われていて今なら虐待と取られることも平気で行われていました。

それはその当時の当たり前=常識だったからです。

そして今では女性の大学進学率も上がって来ましたがほんの少し昔においては女の子は望んでも大学まで行く必要がないと行かせてもらえない家庭も少なくありませんでした。

このように親が子供を愛しかわいがるという事さえ自分が考え子供の意思を聞いた上で出した結論ではなく単なる自分の経験談や常識に当てはめそれに近づけることが子供を真剣に育てる事だと勘違いしている人が数多くいます。

本当に道徳的な人とは今ある常識に基づきそれに近付こうとする人ではなく、自分のためや相手のためにできる最大限の事は何なのか常日頃から考え、人に何と言われようがそれを信じて行動する人です。

貧しい家庭は子供を売るのが当たり前だった時代において、我が子だけは何が何でも売らないと覚悟を決めた人。

殴るのが当たり前だった時代において手を出さず何度も口で聞かせる努力をした人。

女性が大学に行くのが異質だった時代に娘を尊重し進学させた人。

これらみんな当時では非常識でしたがどれも真剣に向き合った人です。

今では子供を育て大学まで行かせて就職させるというのが常識ですが自分がもし親になるとその先を行きます。

まず、親になる前もなった後も毎日欠かさず勉強し倹約をし金融リテラシーを身につけ周りと強調しつつ害を与えてくる人間に対しては毅然とした態度で接しそれでも害を与えてくる人に対しては正当防衛の範囲内で応戦し二度と逆らえないようにします。

ご飯を与え、勉強をさせ、就職させるのが子育ての成功だと思っている親は未来では、当たり前のように子供を殴ったり遊郭に売っていた親と同じような扱いになっているでしょう。


自らが勉強し続ける姿を子供に見せ、お金の勉強をすることでお金に困らない知識を与えいい人と仲良くし悪い人もいることを理解させた上でその人たちから身を守る術を教え、就職できなくても自分で生きて行くための知恵を授け、どんなにダメな育ち方をしても絶対に人格は否定しない。

ここまでしてこそ胸を張って親と言えるのではないでしょうか?